判ったようで判らないのが想像力

思考は現実化するとよく言われていますが、本当なんだろうか?
その場合の思考とはどんな状態の時のどんな物を指すのだろうか?
現実化する思考と現実化しない思考というのが存在するのだろうか?

 

考えだしたらよく判らないですよね。
私自身の体験や、今迄占い鑑定で接して色々と相談に乗らせて頂いたお客様の実体験とかを鑑みまして、一つだけハッキリと確信して言える事は、やはり思考は現実化しているという事です。

ただ問題は、必ずしも自分にとって好ましい状況が現実化しているとは限らないという事です。
と言いますか、むしろ自分にとって好ましくない状況の方が現実化している確率が高い様な気がします。

 

例えば嫌な上司に睨まれたくないと思っている時に限って、何かと細かい事で叱責されたり、朝寝坊したら絶対にダメな時に限って遅刻をしたり、イジメられたら辛いと思えば思う程イジメの標的にされたり、好きな人に告白する時に振られたら嫌だなあと思いながら告白して見事に振られたり、ダイエットしなくてはダメだと思えば思う程、反比例して体重が増えていったり、病気になりたくないと思っている時程、体調を壊したりという事は有りませんか?

 

恐らく誰でも一度や二度は似た様な経験があるのではないでしょうか?
それこそが正に思考が現実化している証なのです。
思考は現実化すると言うと何か自分が沈思黙考し、意識した事が現実化する様な感じを受けるかも判りませんが、実はそうでは有りません。

強く思った事では無く強く感じた事が現実化する

現実化を引き寄せる思考というのは、考えるというよりもむしろ感じると言った方が正しいのではないかと思います。
感じる事イコール想像力、イマジネーションの事ですね。

 

頭で考える事というのは、どうしても雑念が入りやすくストレートに波動エネルギーが放出されません。
どうしても理屈であれこれ考えてしまいますので、ブレーキがかかってしまうのです。

 

一方で自分が心に抱いた印象は、考えるというよりも心の奥深いところで感じるものですから、自動的且つストレートに波動エネルギーが放出されて、同種の波動エネルギーと共振し、作用と反作用の法則によってその状況が現実化されていくのです。

ですから乱暴な意見を言わせて貰えれば、不機嫌な上司に出くわしてしまうのも、好きな女性に振られてしまったのも朝寝坊したり体重が増えたり、はたまた病気を呼び込んでしまうのも自分自身が抱いた恐怖心という強烈な印象のなせる業なのです。

 

そういった意味においては、間違いなく思考は現実化しているのですね。
ただ誰しも人間は、自分に不都合な事をわざわざ引き寄せた覚えなんて全くないものですから、思考は現実化すると言われても「自分が考えた通りになっていない、思考なんか現実化していない」と思ってしまうのです。
それは人間として至極当然な反応で無理はないと思いますが、実際はやはり思考は現実化しているのです。

 

マイナスから物事を考えるのを、そろそろ止めてみないか?

ただ先程も書きましたが、この場合の思考というのは頭で考える類のものではなく、飽くまでも心の奥底でシンプルに感じる事を指します。
ですから私は、敢えて思考は現実化する」という言い方ではなく、「強い印象は現実化する」と言い直したいです。
その方が余程しっくり来ると思うのですが、如何でしょうか?

 

どの様な手法であっても、要は一人一人が本当の意味で自分なりに幸せになれさえすれば良い訳ですから、この際、こまかい理屈は抜きにして、強くて良い印象を抱く方法を模索したいと思います。

 

その際に大事な事は、物事を何でもかんでもマイナスから見るのを止める事です。
昔から「物は言い様、考えよう」と言われる様に自分の考え方の癖を見極めて、もし自分にとって不利益な考え方をする癖があったなら、速やかに改善する事を強くお勧め致します。

日本という国は、何事もとかく減点法で考える社会

私達を取り巻く環境は、時代背景も有って以前と比べれば随分と様変わりしてきたとは思いますが、それでも日本社会は未だに減点主義で考える癖がはびこっていると思いますが如何でしょうか?

 

例えば学校で日頃50点をとっている学生が頑張って70点を取った場合、親や先生は素直に褒めて上げているでしょうか?
褒めて認めるよりも先に「もう少し頑張ってもっと良い点を取る様に」と要望を出す事の方が多いのではないですか?

 

仕事で頑張って成果を上げても、「この次はもっと大きい契約を取って来る様に」と言ってプレッシャーを与える事を優先していないでしょうか?

 

その反面、勉強に付いて行けなくて落ちこぼれたり仕事に失敗したりすると、家族も学校も職場の上司も或いは世間すらも、殊更失敗した相手を責めて非難して、徹底的に相手の自信や誇りを破壊していないでしょうか?
それらの事は決して悪意で行われているというよりも、寧ろそうする事が本人の為と思い込んで行われている場合が多く、尚更始末が悪いのです。

 

要はどんな事であれ、以前よりも上手く出来た事や頑張って成就した事に対して、正当に評価する事はしないで出来なかった事や失敗した事に対してのみ焦点を合わせ声高に叱責する。
その結果、失敗して叱責されたり恥をかいたり評価を下げられる事を、極端に恐れる土壌がはびこるのが問題なのです。

 

これでは健全な自己評価や強い想像力が育つ筈もなく、自分自身も常に失敗を恐れる気持ちに根差した想像力を発揮する事になるのです。
つまり恐れに根差した想像力の発揮という事です。

 

自分が発した波動エネルギーと同種の波動エネルギーが正確に自分に返ってきますので、その様なビクビクした弱い想像力が生み出す現実というのは推して図るべきでしょう。

 

この様にして自分の望まない現実が現れる事が多いので、一般に思考が現実化しているとは認められないのです
これがもし自分の夢や希望が次々と叶って行くのであれば、確かに思考は現実化していると信じられるのではないでしょうか?

他人の評価よりも、自分の為の自己評価を優先する

その為には、どのようにすれば良いのでしょう?
まず他人の評価を鵜呑みにするのではなく、自分が自分の為に優しく気持ちよく自己評価を下すべきです。
その際、多少ひいき目に自分を評価しても一向に差し支えありません。

 

周りに聞こえる様にそれを言えばひんしゅくを買うかも判りませんが、私の言う優先された自己評価というのは飽くまでも自分自身の心との会話であるので、誰かに聞かれる気遣いは有りませんし、間違っても周囲に宣言する必要は有りません。

 

自分が自分自身の味方になると同時に、最大限の理解者になる事が重要なのです。
そして今迄長年、縛り付けられていた自己イメージを効果的に上げて行くのです。
そうする事によって徐々に今迄の間違った自己イメージが取り払われ、代わって最高に良い状態の自己イメージに取って変わられるのです。

 

そうなってこそ私達に備わった想像力という最高にして最大の武器を、自由に効果的に使い切る事が出来るのです。
私達が本当に望むところの思考の現実化とは、嫌な事が現実化するのでは無く、自分の夢や希望が叶って現実化する事なのです。

 

その為には、自分にとって不愉快な状況が現実化する恐れがあるイメージを完全に払拭し、良いイメージのみで自分の心の奥底の印象を満たす事です。

 

最初は意識的、無意識的に関わらず今迄にイメージした結果が現れて、その中には自分にとって不本意な事柄もあるでしょうが、挫けずにイメージの転換を図り続けていると、いずれ自分の身に起こる出来事そのものが変わって行きます。
それを目指して頑張って行きましょう。

 

 

 

 

 

 

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